マスコミは「味方」だったのか  【連載レポート】強制不妊(10) 

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強制不妊手術被害者による初の国賠訴訟に注目が集まる。仙台地裁前で原告側による訴状提出を待つマスコミの人たち=2018年1月30日午前10時10分、仙台市青葉区片平1丁目(C)Waseda Chronicle

72歳になった飯塚淳子=仙台市在住=は、今も、自分が不妊手術を強いられた理由を調べ続けている。当時のことを知っていそうな人に話を聞いたり、宮城県にかけ合って資料を集めたり。

新聞記事は、クリアファイルに入れて大切に保管している。

自分の被害を伝えるために東京のテレビ局に手紙を出したこともあった。記者が自宅に来ると、手料理でもてなした(*1)。自分のことを記事や番組にしてくれると、「取り上げてくれてありがたい」と思った(*2)。 淳子は、マスコミは自分の味方だと思っている。

だが、ファイルにある記事は、1996年に優生保護法が改正され、国家による強制不妊手術ができなくなって以降の話だ。

それ以前はどうだったか、それは淳子のファイルの中にはない(*3)。

強制不妊手術の「徹底」を掲げた「愛の十万人運動」。政財界、障がい者団体、労働組合、婦人団体、マスコミ……各界の実力者を揃えた宮城県精神薄弱児福祉協会が主導する「オール宮城」の大運動は、宮城県民から資金を集め、「小松島学園」を設立した。淳子は1960年に14歳でそこに収容され、その経歴がもととなって不妊手術を強制された。

そのころのマスコミは何を報じていたのか。

「愛の十万人運動」が始まるきっかけは、「精神薄弱児」の施設「亀亭園」が火事で焼失したことだった。第4話 で報じた通りだ。 火事から2日後の1956年12月13日。毎日新聞は宮城版に記事を載せた。

「収容施設の強化が必要 放置されている精薄児」

そんな見出しの記事。「精神薄弱児」の危険性を訴え、施設収容の必要性を求める県関係者の声で組み立てられている記事だ。

いったい「精神薄弱児」の何が危険なのか。毎日新聞の記事は、その根拠として、5人の事例を挙げていた。

7歳の男児のケース:火遊びを覚え、人のすきをみてはたき火などをワラぶき屋根に放り投げた。母は再三「精神薄弱児」施設に入れてもらいたいと訴えているが、まだ収容されていない。

8歳の女児のケース:性格が乱暴で、弟をいろりの中に突き落とす。近所の子どもを小川に突き落として、溺れさせようとしたことがある。やむなく医療扶助で精神病院に入れた。

中学1年の男子生徒のケース:近くの小学校の便所内で女児に暴行未遂。数年前からこの傾向があり、保護の時期が遅すぎた。

5歳の男児のケース: 乱暴で、家の建具や器物を壊す。家人は食事も落ち着いてできない。このため、祖父母と父母の間に争いが絶えず、一家は離散の危機にあり、家人はその子の死ぬことを願っている。

中学3年の女子生徒のケース:同級生が旅行(修学旅行)に出ることを恨み、校舎に放火。学力は小学校1年生程度。異常発作があって学校では目が離せない。施設にも入れられず、「特殊学級」(現在の特別支援学級)もなく、本人は学校に通学しているが、この子のために教育に支障を来している――。

これら5件の例は、すべて宮城県の青少年問題協議会がまとめた資料を使っている。この資料は宮城県民政労働部母子課長の菅原敏雄が編集した書籍(*4)として、母子課と協議会から発行された。

毎日新聞は、県の主張をそのまま報じていたのである。当時の子どもたちへの行政の調査がいかにずさんだったのかは、第3話「福祉事務所の報告」でも報じた通りだ。淳子は身に覚えのないことを県の機関に報告され、問題のある児童に仕立てられていた。それが強制不妊手術へとつながった。

毎日新聞の記事から約1ヶ月後の1957年1月22日。今度は、当時県内で7割の世帯普及率を誇った(*5)地元紙の河北新報に記事が出た。「愛の十万人運動」を推進した福祉協会の結成に向けた準備委員会について報じた記事だ。県内に3万人の「精薄児童」がいるとし、福祉協会の役割について次のように紹介した。

「精薄児をふやさないよう県衛生部と協力して優生保護思想の徹底にも一役買うことになっている」

河北新報社の会長で創業家出身の一力次郎が、福祉協会の顧問に就いている(*6)。自社の幹部が役員として加わる組織のことを、一般記事の体裁で掲載した。

この日は読売新聞も宮城県版で報じた。

「十万人の百円カンパ 精薄児を救う県民運動計画」

記事では、「県母子課が中心となって精薄児福祉協会を設立、別名『愛の十万人県民運動』を全県下にくりひろげようとしている」と、県が運動を主導していることを明かし、その上で「愛の十万人運動」の意義を読者に伝えた。

「この運動は県下三万名の精薄児に県民が一丸となって物心両面から積極的な愛の手をさしのべようというもの」

「愛の万人県民運動(ママ)はこうしたヒューマニズムから出発している」

淳子を不妊手術に追い込む契機となった県民運動は、始まる前から、すでにマスコミによるお膳立てがなされていた。

マスコミはその後もアクセルを踏み続ける。

(敬称略)

[おことわり] 文中には「精神薄弱」など差別的な言葉が含まれていますが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用しました。

=つづく

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[脚注]

*1 飯塚淳子への取材、2018年2月28日午後5時40分からと2017年8月30日午後2時30分から、いずれも仙台市内で。

*2 飯塚淳子への取材、2018年2月28日午後5時40分からと2017年8月30日午後2時30分から、いずれも仙台市内で。

*3 飯塚淳子への取材、2018年9月21日午前11時から、仙台市内で。

*4 菅原敏雄『青少年指導指針第8集「精神薄弱児」』宮城県民生労働部母子課・宮城県青少年問題協議会、1957年。

*5 河北新報社『河北新報媒体価値の分析』1962年頃、1頁、早稲田大学図書館所蔵。

*6 ワセダクロニクルは河北新報社社長の一力雅彦宛に、当時会長だった一力次郎が「優生手術の徹底」を目的に掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていたことについて見解を求める質問書を送ったが、2018年3月1日午後3時の回答期限を過ぎても回答はなかった。ワセダクロニクルは、同日の午後4時34分と同53分、午後5時1分に、回答不達の確認を求めるため、同社に電話し、担当者にメールをした。担当者から同日の午後5時27分にメールが届き、「回答しないという対応を取らせていただきます」との回答を得た。ワセダクロニクルは、回答しない理由などをメールで照会したが、約3週間経った2018年3月22日午前5時現在、いまだに回答はない。河北新報社は、創業家出身の当時の会長が「優生手術の徹底」を目的に掲げた団体の顧問を務めていたことについては口を閉ざす一方で、国などに対しては批判をしている。河北新報社は2018年3月6日に社説「強制不妊 救済の動き/スピード感を持って対応を」(2018年3月6日取得、http://sp.kahoku.co.jp/editorial/20180306_01.html)を掲載、「国はこれまで被害者から謝罪と補償を求められても、『当時は合法だった』との根拠を盾に背を向けてきた。国連女子差別撤廃委員会から補償勧告を受けても、過ちに全く向き合ってこなかった」「政府や国会、自治体は負の歴史に真摯に向き合い、スピード感を持って救済に取り組んでほしい」と記述した。ワセダクロニクルでは引き続き、「負の歴史に真摯に向き合」うのかどうか、河北新報社に見解を求めていく。

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