「論文バブル」で起きた研究不正──コロナ世界最前線(5)

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  • 医学生物学分野における今回のパンデミックの特徴の一つは、爆発的な勢いで増え続ける論文発表数です。シンガポールの研究者らの報告によると、2月から6月までの間に少なくとも1万8千件近くがアメリカの論文データベースに収載され、1日あたりにすると137本にもなったそうです。2009年の新型インフルエンザの時は、1日あたりの論文数は6本に過ぎなかったので、いかに凄まじい量の新型コロナ関連論文が出版されているのかお分かりいただけるでしょう。

    このため、情報(インフォメーション)とパンデミックを掛け合わせた造語、インフォデミックという単語も流行っています。

    しかし、中身は玉石混淆です。世界一流と言われる専門誌であっても、論文として掲載した研究内容に不正が発覚しました。「論文バブル」に、むやみに踊らされない慎重さが必要です。

    世界一流の医学専門誌で論文取り下げ

    不正があった研究は、ハーバード大学の研究者らによるものです。高血圧の薬と抗マラリア薬がテーマになっていました。高血圧の薬は新型コロナウイルス感染者を重症化させると疑われていて、抗マラリア薬は新型コロナの感染予防と治療に転用できる薬として期待されています。いずれも注目度が高い研究です。

    高血圧の薬の研究は、NEJMがオンライン版で「Cardiovascular Disease, Drug Therapy, and Mortality in Covid-19」のタイトルで5月1日に掲載しました。抗マラリア薬はランセットがオンライン版で5月22日に「Hydroxychloroquine or chloroquine with or without a macrolide for treatment of COVID-19: a multinational registry analysis」とのタイトルで掲載しました。

    しかし、どちらの論文も発表直後から、世界中の医師や研究者によりデータの信頼性に疑義が寄せられ、すぐに研究不正が発覚しました。その結果、ランセットの論文は発表からわずか13日後に、NEJMの論文もランセットの発表の1時間後に取り下げられました。

    NEJMとランセットは「世界一流」の医学専門誌です。理系の国際専門誌は、「インパクト・ファクター」という影響力を示す数値によって序列化されていますが、NEJMは71点、ランセットは59点です。日本の医学界で最大の日本内科学会が発行する英文専門誌は1点程度しかありませんから、NEJMとランセットの影響力の大きさがよく分かります。両誌の影響力は医学・医療分野に留まらず、製薬企業などの業績や株価などにも及び、しばしば国際ニュースのヘッドラインを飾ります。

    世界中から称賛と信頼を集める一流誌にも関わらず、両誌は研究不正を見抜けず、論文を掲載してしまいました。どのような不正だったのでしょうか。

    電子カルテのビッグデータ捏造

    不正がみつかった研究では、論文著者の1人が運営するサージスフィア(Surgisphere)という小さな医療データ会社が集めたビッグデータを使っていました。約10万人の新型コロナ患者の医療情報ビッグデータを、世界中の約700の病院の電子カルテから集め、統計学的な解析を行った、というのがサージスフィアの触れ込みでした。医療情報の電子化が進み、国際的なプラットフォーム作りも進められているので、研究としては「如何にもありそう」な流行りの設定です。

    ところが論文発表後、電子カルテ情報を提供したはずの病院は、サージスフィアと何の契約もしていないことが露見しました。このビッグデータは捏造の可能性が濃厚、となってしまったのです。

    医学研究ではデータに含められる患者さんの数が多いと、いろいろな統計解析を駆使してもっともらしい数字を並べ立て、見栄えよく体裁を整えることができます。近年、医学研究が無意味な統計解析結果に頼りすぎることに批判が強くなっており、それを見直そうという声明も出されていました。

  • しかし残念ながら、パンデミック下での国際共同研究のビッグデータを装った統計マジックに、NEJMとランセットはまんまと引っかかってしまったわけです。

    サージスフィアの運営者は、今回のビッグデータの捏造を公式には認めていません。なぜ、このような国際的な大舞台で研究不正をしたのか。サージスフィアのブランド価値を高め研究費取得や投資など金銭的利益を狙ったのか、あるいは、有名専門誌への論文掲載で名声や出世を求めたのか、その動機についても明らかにはなっていません。ただサージスフィアの運営者は、若い時に書いた論文でも画像の操作が見つかっており、不正の常習者だったのかもしれません。

  • 「世界的話題」の罠

    研究不正論文が掲載され、後に取り下げられるという事例が、過去に何度もトップジャーナルで起こっています。

    理系の国際専門誌も一般のマスメディアと同じような習性があり、世界的に話題になっている注目のテーマを優先的に取り上げます。象牙の塔の住人用メディアとして、世俗と隔絶した高尚な論文ばかり載せているわけではありません。実際、NEJMやランセットといった臨床医学誌、サイエンスやネイチャーといった総合科学誌をはじめ、多くの専門誌には新型コロナ関連の特設ページが設けられ、論文やニュースが日々発表されています。

    現在のパンデミック下であればこそ、新型コロナが論文のテーマになっていると、立派な専門誌に掲載される確率も高くなります。査読と呼ばれる第三者による論文チェックも、通常は数ヶ月から1年以上もかかることもありますが、新型コロナの論文は優先され、数日から数週間以内に済ませてもらえます。医師や研究者もそれに乗っかり、こぞって関連の論文を書いては投稿しています。

    「新型コロナ論文バブル」とも呼べる状況の中、専門誌の編集部や論文を査読した専門家のチェックが甘くなり、研究不正を見抜けない。そうした背景が今回の研究不正にはあります。

    日本でも他人事でない研究不正

     研究不正は海外の遠い出来事ではなく、日本でもたびたび起こっています。有名な事件は皆さんもご存知でしょうし、あれだけ騒がれたのだから、もう起きないだろうと思うかもしれません。ところが、つい先日も日本の医学部で、研究不正のせいで大学教授が辞任に至った事例があります。このような研究不正は過去に何度も起こっていますし、今後も起こり続けるでしょう。

    ではどうすれば良いのか?単純な回答はありません。今回の研究不正を一過性の話題として忘れてしまわず、みんなで考え様々な対策を続けるしかないだろうと思っています。

    ノーベル賞を受賞した本庶佑氏が「ネイチャーやサイエンスに出ているものの9割はうそで、10年経ったら残って1割」とおっしゃったことが報道されています。私も全く同感です。時の審判を経ることも重要で、一流専門誌に出た最新情報といえども、むやみに踊らされない慎重さも必要でしょう。

    研究不正の実態を知る上で、皆さんにご紹介したい一冊の本があります。RAW DATA(ロー・データ)(ベルニール・ロース著、日向やよい訳、羊土社、2020年4月)という翻訳書で、研究不正が起こる過程を描いた実にリアリティのある小説です。本物の研究者が書いているので、文系の方には少しとっつきにくいところもあると思いますが、ご興味があれば是非一読されると良いでしょう。

  • 谷本哲也(たにもと・てつや)
    1972年、石川県生まれ、鳥取県育ち。鳥取県立米子東高等学校卒。内科医。1997年、九州大学医学部卒。ナビタスクリニック川崎、ときわ会常磐病院、社会福祉法人尚徳福祉会にて診療。霞クリニック・株式会社エムネスを通じて遠隔診療にも携わる。特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所に所属し、海外の医学専門誌への論文発表にも取り組んでいる。ワセダクロニクルの「製薬マネーと医師」プロジェクトにも参加。著書に、「知ってはいけない薬のカラクリ」(小学館)、「生涯論文!忙しい臨床医でもできる英語論文アクセプトまでの道のり」(金芳堂)、「エキスパートが疑問に答えるワクチン診療入門」(金芳堂)がある。
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