転職の行方 ── 消えた核科学者(11)

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          • ▶︎ 渡辺周 ワセダクロニクル編集長   友永翔大 写真/ワセダクロニクル
  • 竹村が失踪前まで勤めていた旧・動燃(現・日本原子力研究開発機構)=2020年4月4日午後1時50分、茨城県東海村 (C)Waseda Chronicle

    私は、失踪した竹村達也とともに大阪大学で冶金を学んだ同級生を訪ねた。竹村の失踪と北朝鮮による拉致疑惑を告げると驚いた様子だった。その同級生は竹村が失踪したことを知らなかった。彼は、竹村が動燃(現在の日本原子力研究開発機構)を退職して、宮崎県の旭化成に転職したと思い込んでいたという。

    ── 旭化成、ですか?

    「竹村君が動燃を辞める時にね、誰かから聞いたんだよ」

    その同級生はいった。

    竹村が動燃を退職していたことは事実だ。

    警察の「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」のホームページには、こうある。

    「昭和47(1972)年3月1日、茨城県下の勤務先を退職した後、行方不明となっています」

    ホームページを見て私が日本原子力研究開発機構に確認したところ、確かに竹村は1972年3月で動燃を退職していた。

    だが、駐車場には竹村の愛車のカローラが残されていた。警察のホームページでも住所は、動燃の独身寮がある「茨城県那珂郡」になっている。

    私は東京で、竹村と同じ年の動燃での同僚をみつけ、自宅を訪ねることにした。

    その同僚は竹村と同じプルトニウム燃料部に在籍し、上司も同じだった。

    警察のホームページに載っている竹村の写真を見せると、彼は「ほー」と声をあげた。

    「竹村も私も、野球の野村克也と同じ昭和10年(1935年)生まれ。同じ部署で働いてた」

    「上司は、部下が提出した書類をみんなの前で破るような人でね。私は、猪苗代でスキーをして日焼けして帰ってきたら、『けしからん』なんて怒られたことがある。その点、竹村は優等生的で、その上司にも可愛がられていたな」

    「給料は全部ベッドの下にため込んで、車も即金で買ったなんて噂されてたね」

      私は竹村が失踪した当時のことを尋ねた。
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  • 「竹村が退職するっていうんで、独身者は気軽でいいなあ、なんて他の同僚といってたんだ。退職後は京セラに転職するってことだったから」 

  • 「えっ、京セラ? 旭化成ではない?」

    竹村は冶金を学んでいた。だとすれば京セラに転職してもおかしくはない。実家の大阪とも近い。だが、大阪の同級生は宮崎の旭化成に転職したといっていた。

  • 私に最初に失踪のことを告げた竹村の部下も、転職について話していたが、転職先は三菱原燃(三菱原子燃料)だった。動燃と同じ茨城県東海村にある。

    転職先に挙がった企業は、複数あった。

    竹村は動燃を退職後、本当に転職したのか ──。

    「ところがだ」

    竹村と同い年の同僚は、竹村と動燃の人事部にまつわる興味深い話を聞かせてくれた。

    (敬称略)

    =つづく

    北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。

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