「そんな人は来ておりません」── 消えた核科学者(12)

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        • ▶︎ 渡辺周 ワセダクロニクル編集長    友永翔大 写真/ワセダクロニクル
  • 動燃通りにある看板。原子力の平和利用推進と核兵器廃絶が宣言されている=2020年3月29日午後1時11分、茨城県東海村 (C)Waseda Chronicle

    私は東京で、失踪した旧動燃の核科学者、竹村達也と同い年の同僚から「竹村と動燃の人事部の興味深い話がある」といわれた。

    「民間企業の人からしたら想像がつかないでしょうが、お役所勤めの甘いところで、僕らは期末手当が年3回出てたんです。6月、12月、3月とね」

    「でも竹村は3月の期末手当を受け取らずに退職してしまった。動燃の人事部は期末手当を彼に支払おうと竹村の転職先に電話した。ところが、相手の会社は『そんな人物はおりません』といったんだ」

    「じゃあ、竹村はどこに行ったんだということになって、人事は慌てた。動燃にしたら、大学を出てプルトニウムの研究をしていた人間が、技術を持ったまま姿を消したとなったら、えらいことになる」

    この同僚の記憶では、その時に人事が電話をかけた先は京セラだったという。

    私は、旭化成や三菱原燃の名前も出ていると指摘した。

    「いずれにせよ、人事は竹村が転職したと思われる会社に電話をしたけれども、竹村はいなかったんだ」

    大阪にいた竹村の母と姉にも連絡が途絶えていて、姉が茨城県東海村の動燃までやってきた。竹村は独身だった。母らがテレビ番組に出演してまで竹村の行方を探したという。

    竹村は退職したが、その後の足取りは途絶えた。

    警察の「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」に掲載されている情報にも以下のように書かれている。

    「昭和47(1972年)3月1日、茨城県下の勤務先を退職した後、行方不明となっています」

    同僚たちの証言では、竹村は動燃を退職した後、いったんどこかの民間会社に就職したことになっている。しかし、動燃の人事部が連絡をとった転職先に竹村が来ていなかったのなら、竹村の転職話は架空だったことになる。

    そもそも彼はなぜ、動燃を退職したのか。

    最初に私が話を聞いた、竹村の部下の科学者は、こう不思議がる。

    「動燃は国の核開発ミッションを背負った最先端機関だった。しかも竹村さんは仕事が生きがいのような人で、動燃の中でも5本の指に入るエース。三十代半ばで、これからという時だったのに」

    竹村が動燃の前身の原子燃料公社に入社したのは1958年4月だ。

    動燃を退社し失踪するまでの14年間に何があったのだろうか。

    (敬称略)

    =つづく

    北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。

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