「プルトニウム四天王」ー消えた核科学者(13)

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        • ▶︎ 渡辺周 ワセダクロニクル編集長    友永翔大 写真/ワセダクロニクル
  • 東海村の街並み。奥には日本原子力研究開発機構(旧・動燃)が見える=2020年4月4日午後2時14分、茨城県東海村 (C)Waseda Chronicle

    旧動燃の人事部が未払いの手当てを支払うため、竹村達也の転職先と思われる会社に電話した。だが「そんな人間はいない」という答えだった。家族との連絡も途絶えていた。

  • 私は、失踪した竹村の転職話は架空だった可能性が強いと考えた。

    そもそも、竹村はなぜ動燃を退職したのか。

    動燃は当時、日本政府のミッションを受けた最前線の原子力研究所だった。あえて民間に転職するというのは、いわば都落ちだ。

    私は竹村の動燃での仕事人生をたどることにした。

    竹村が大阪大学工学部を卒業し、動燃の前身である原子燃料公社に入社したのは1958年4月。日米原子力協定が結ばれた年だ。

    原子力技術は、原子爆弾を作る研究がもとになっている。アメリカは広島と長崎に原爆を炸裂させ、原子力技術で世界をリードした。だが第二次大戦後はソ連が1949年、イギリスは1952年に原爆実験を実施する。アメリカは原子力技術を独占することができなくなった。

    アメリカは原子力技術がほしい国と個別に協定を結び、世界に原子力技術が拡散しないようにした。「アトムズ・フォー・ピース」。アイゼンハワー大統領の方針のもと、核兵器を保有する国がこれ以上増えないことに神経を尖らせた。

    日本は1955年に日米原子力研究協定を結ぶことで、原子力技術の開発でアメリカの管理下に置かれた。動燃は、日本政府の後ろに控えるアメリカの手のひらの範囲で原子力技術を開発していくことになる。

    竹村は入社後、動燃のエースとして着々と仕事をしていく。アメリカの国立アルゴンヌ研究所にも留学した。

    アルゴンヌ研究所は、アメリカのエネルギー省が管轄する。ウランを燃やす炉を世界で最初につくった「原子力の父」、エンリコ・フェルミの研究所が母体で、1946年に設立された。

    日本からは1955年に元原子力委員会委員長代理の故・大山彰が国から派遣されたのが最初だ。以後、日本の原子力研究を担う人物がアルゴンヌに送られた。竹村はそうした原子力の世界のエリートの中に名前を連ねていたことになる。

    竹村の部下だった科学者はいう。

    「竹村さんは動燃の中で研究者たちを率いる指導的な役割だった。アルゴンヌなどに留学し、プルトニウムの取扱訓練を受けた経験のある人たちは当時4人。『プルトニウム四天王』だった」

    竹村ら動燃の研究者たちは、アメリカで吸収した知識と技術をベースに、日本の核技術を発展させていった。

    (敬称略)

    =つづく

    北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。

    • 竹村達也さんについての情報をお待ちしています。強力なセキュリティをかける連絡方法も用意しています。プロバイダーがあなたの通信内容を政府機関に提供したり、政府機関が何らかの方法であなたの通信内容を把握したりすることは不可能になります。こちらをお読みいただき、情報をお寄せください。
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