アリンコの知恵袋⑦大リーグ交渉人から女優へ、性別を変えて受け入れた「本当の自分」

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アリンコの知恵袋、第7回目はギタリストで女優のコウタさんがギターを抱えてやってきた。

大リーグの交渉人から女優へ、父親からひとりの女性へ。40年以上ひた隠してきた自分に正直になろうと歩み始めた時、愛する人が遠ざかり自らも命を絶とうとした。

だが女性として生き始めて10年余り。女性である自分はもちろん、男性だった自分も含めて慈しむようになれてから、コウタさんの元には再び大切な人が集っている。かつての球界の仲間たち、そして子どもを産んだばかりの最愛の娘・・・。

トークの合間に、コウタさんは自ら作曲した楽曲も3曲披露してくれた。

 会場の参加者が涙を流したのは、3年前になくなった父親に捧げた曲。頑固者で、女性になった自分を認めない父だった。憎しみさえ感じていたのに、なぜか思いが溢(あふ)れて出来上がった曲だという。【辻麻梨子】

ギターを演奏するコータさん=2019年9月18日、東京都新宿区西早稲田1丁目 (C)Waseda Chronicle

「本当は男の子じゃない」

子どもの頃、17回転校した。

父は通信社の記者で転勤が多かった。私が4歳の頃から家族でロンドン、ニューデリー、ニューヨーク、ロサンゼルスと移り住んだ。海外生活の合間に東京で住んでいたこともあったが、日本語を忘れかけた。

母国の姿がぼやけてくる一方で、外国にも自分の居場所がなかなか見出せなかった。

中学2年生から暮らしたロサンゼルスでは、毎日のように「ジャップ」と罵られた。当時のロサンゼルスは、「金髪碧眼」の白人社会だ。日本のことなんてちっとも知らない同級生から、差別されるのが当たり前だった。

「自分のルーツは一体どこにあるのか」という不安定な私を、さらに混乱させていたのが性自認のことだ。

物心がついた頃にはすでに、自分は女の子なのに、男の子の体で生まれてきてしまったと感じていた。スカートを履きたがり、ミニカーなどには興味を示さなかった。「僕は男の子じゃないんだよ」と母に繰り返したが、取り合ってもらえることはなかった。

高校3年生の時には、両親に軍隊学校へ入学させられた。軍隊式に鍛えれば男らしくなると思ったのだろう。父は頑固で封建的だったし、母も幼い頃から女の子のような振る舞いをする私を不安に感じていたはずだ。

銃のMK16の分解やほふく前進をマスターしたが、そんなことで気持ちが変わるわけがない。私に「女」を嗅ぎ取った軍隊学校の同級生から、レイプに遭ったことが何度もあった。

日米野球の橋渡し役に

軍隊学校を卒業後は、ニューヨークの美大に進学。その後は電通の関連会社でアートディレクターとして働いた。

だが「アートの世界」から「勝負の世界」にすぐに身を投じることになる。1988年、英語力を買われてダイエーホークスで通訳と渉外を任されたのだ。

1997年にはニューヨークに舞台を移して、ヤンキースなど大リーグの球団で伊良部秀輝らの通訳を務め、日本人選手が大リーグに移籍する際の交渉も担当した。幼い頃から揺らぎ続けた性自認のことは封印され、白黒はっきりした勝負の世界に没頭した。

2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシックは、裏方として開催のために奔走した。あの大会で日本が優勝した夜のことは、忘れられない。自分が支えたチームが世界一になったのだ。敬愛する王貞治監督も私をねぎらってくれた。

ところが、大きな仕事が終わって肩の力が抜けると「やっぱり自分は女だ」という気持ちがもたげてきた。

弦の切れたアコースティックギター

日本が野球世界一になった翌日から、女性に身体を近づけるためのホルモン注射を打ち始めた。44歳のことだ。

自分の体と心がこれまでとはまったくの別物になっていった。体型が女性らしく変わるだけでなく、ものの考え方や好きな食べ物、嫌いな食べ物もそれまでと違う。何十年も一緒に生きてきた自分の体なのに、言う事を聞かないような感覚に混乱した。

私には妻と3人の子どもがいた。妻は私が心から愛した女性だったが、治療を始めるまで打ち明けることはできなかった。変わっていく私と彼女の距離は広がり、離婚することになった。

ホルモン治療で不安定な最中に、最愛の妻まで失った。そのことの混乱とショックから、ニューヨークのハドソン川に飛び込もうとしたところを警察に保護され、地元のレノックス・ヒル病院の精神科に入院した。認知症のお年寄りや、精神疾患を抱えるホームレスの人々が多く入院している病院だ。

病院の一角で見つけたのが、壁にかかったギター。

弦が1本切れて、5弦になっている。ギターは得意だった。大リーグの頃にマイク・ピアザ選手らとバンドを組んで演奏していたこともある。ギターを手に演奏していると、患者たちが集まるようになった。

ふと見ると、車椅子に乗った重度の認知症のおじいさんが自分の演奏を嬉しそうに聴いている。私の内面を音楽にのせることで、人の心を癒せることができるんだと気づくことができた。

「コウタ」を名乗り続ける

これまではずっと、自分の気持ちから目を背けて人生を歩んできた。今はとても自由だ。視野が360度ひらけているような、手枷足枷(てかせあしかせ)を取ったような気持ちになる。人をいたわるような優しい気持ちが自分の中にあることにも気づいた。軍隊学校や球界といった男社会で、勝つか負けるかを競い合っていた頃には忘れていた気持ちだった。 

今やっと本当の自分になれたと感じている。その反面、男性だった時の私も、やっぱり私だ。女性になることは劇的な変化だったが、過去の自分も受け入れてあげたい。

それで、コウタという名前を今も変わらず名乗り続けている。

あのとき自分の気持ちに正直になったことで、失うものもあった。しかし、今の私を受け入れてくれる人たちもいる。

昨年はかつて所属していた西武ライオンズのイベントに招待され、黄金期を支えた森祇晶元監督や田辺徳雄さんと再会した。集まると思い出話で盛り上がり、昔と変わらない。皆、今の自分をそのまま受け止めてくれた。

米国での生活を捨ててから、遠くなっていた娘との距離にも変化があった。今年の夏に孫が誕生すると、テレビ電話ですぐに連絡が来た。元気に生まれてきた赤ちゃんを見て、やっとの事で涙をこらえた。

父に捧げる曲

米国から日本に帰ってきたのが2008年の春。

久しぶりに会う実家の両親は年老いていた。

母は認知症が進んで施設で息を引き取った。

母に先立たれた父を私が介護した。排泄の世話から、認知症が進んでスーパーで万引きした時の迎えまで、私は身を粉にして父の面倒を見た。

父は3年前、亡くなった。

転勤で家族を振り回し、私が女性であることも認めようとしない父。憎しみさえ覚えていたのに、介護までさせられた。父に対しては、込み上げる思いなどないと思っていた。

それなのに、亡くなって涙が一番出たのは父だった。気がつくと頭の中にメロディが流れ出していた。今日は父の旅立ちに捧げた曲「Joji’s Voyage(ジョージズ・ボヤージュ)」を披露する。世話をする私のことを「コウちゃん」と呼んだ父の姿を思い出しながら演奏させていただく。

亡き父を思い、演奏するコウタさん=2019年9月18日、東京都新宿区西早稲田1丁目 (C)Waseda Chronicle

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